2012年12月28日

旧約聖書に出てくる巨大UFO

ベートーベンが「第九」に込めた思い

どうも年末ころになるとマスコミからの依頼が増えます。
特に「ビートたけしの超常特番」はもう15年も続きました。また以前は「タックル」がありましたが、これは今年で25周年になるそうで、正月6日の午後3時半から記念の「番外編」を放送するそうです。若き頃の私の姿も出るらしいです。

これらが、おもしろいから続いたのか、正論を言ったから続いたのかといえば、どうも、おもしろいからというのが実情なのでしょう。

しかし、私としては、つねに正論を提示したいと思っているのですが、さまざまな思惑が絡んで果たせないこともあります。特に今年は二転三転してしまいましたので、相方の切り込みが鈍ったりして、放送から外れてしまいました。

しかし、それではまずいというので、元日から1週間限定で、テレビ朝日のホームページに、カットした部分の動画を掲載するとのことです。

私としては、それでも満足できませんので、その辺をこれからブログか書籍でじっくりまとめたいと考えています。

ところで年末に、ある縁で、ベートーベンの第九交響曲のコンサートを聞きに行きました。
生演奏を味わいますと、改めて、この曲が毎年年末に世界中で演奏される理由が分かるような気がしたのです。

ルネサンスの息吹を引き継いで、フランス革命の直前に書きあげられたこの作品は、詩人フリードリッヒ・シラーの「歓喜に寄せて」に感銘したベートーベンが、歌を交えた交響曲にしたいと考えてから30年の歳月をえて出来上がったものだそうです。

そして、ようやくコンサートをしようとしていたときには、ベートーベンはほとんど聴覚を失い、聴衆から湧き上がった盛大な拍手さえ聞こえなかったといいます。
しかしその後、うるさい曲だとか、演奏者に酷な曲だと評論され、三年後に亡くなるまでに、一度か二度しか演奏できなかったものでした。

しばらくして、非常に芸術的に優れているということが、死後数十年たってから、ようやく評価されるようになるわけです。

演奏していた日本フィルハーモニーは、今の私の地元に本部があり、近所で楽器を抱えて出勤する演奏者をよく見かけるものですから、親しみを持って、じっくり曲と歌詞を調べてみました。
そしたら、非常に意味深い内容であるとともに、なんとUFOに無関係ではないということに気付いて、びっくりしました。

理由は歌の内容にありました。最後の第四楽章で、百人編成で合唱されるドイツ語の歌詞を、私なりに翻訳してみましたので、味わってみてください。

歌詞の中にある「ケルビム」というのは、旧約聖書のエゼキエル書などに出てくる、神の玉座を意味しますが、この聖書の記述部分を分析したNASA(アメリカ航空宇宙局)のジョセフ・ブラムリックという科学者は、それが一種の航空機のようなもの、つまり現在目撃されるようなUFO状のものであると結論したことがありました。

サムエル記にも出てきますが、出エジプト記では“雲の柱”という表現なっています。

じつは、今年の超常特番で、私は最近起きたこの種のUFOについて報告をするつもりでしたが、果たせませんでした。わずかな手持ちのデータを、一応本番収録で話していますので、それがテレビ朝日のホームページで、年明けに動画掲載されるわけです。

それでは以下に、ベートーベン第九の歌詞となっている、詩人フリードリッヒ・シラーの「歓喜に寄せて」原文より起草したものを記載しますので、曲を聴きながらでも味わってください。

       ♪  ♪  ♪  ♪  ♪  ♪  ♪  ♪ 

歓喜、美しい神々の火花
楽園からの乙女よ
私たちは感激して、あなたの楽園に踏み入る

この世の習慣が厳しく分けたものを
あなたの魔力は再び結びつけ
すべての人々は、あなたの優しい翼のもとで兄弟となる

心の友を得るという幸運に恵まれた者
やさしい女性を妻にした者は
共に歓喜の声をあげよ

そうだ、ただ一人でも、友と呼べる人のいる者も歓呼せよ
しかし、それができなかった者は
涙と共に、この集いから去らねばならない

すべてこの世に生を受けた者は
自然の乳房から、喜びを飲み
バラの花園をたどる

自然の喜びは、我らに口づけとぶどう酒と
死の試練をも恐れぬ友を与える
虫にも喜びが与えられ
ケルビム(天使・UFO)は神の前に立つ
いだかれよ、百万の人々よ
この口づけを全世界に
兄弟たちよ、星空のかなたに、愛する父は住みたもう

ひざまづいているか、百万の人々よ
創造主の存在を感ずるか
世界よ、彼の存在を天上に求めよ
星の彼方に人の子は必ずや住みたもう

♪  ♪  ♪  ♪  ♪  ♪  ♪  ♪ 
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2012年10月12日

UFO介入<その8> 福島第一原発の放射能拡散抑止

上空に飛来した6機のUFOは何をしたのか

人類が放射能を発見した時から多くの宇宙人が地球に飛来し、兵器だけでなく平和利用についても核の使用は「宇宙の破壊を招く」と彼らは警告し続けてきました。(UFOの介入<その2>と補足を参照)

さらに軍人や科学者の証言で、核弾頭のミサイル実験がUFOによって麻痺したとか、原発事故現場にUFOが出現して放射能濃度を下げ、その拡散を防止したことが明らかになりました。(「アポロ計画の秘密」と<その3>参照)

そしてこのたびの福島第一原発の事故において、「6機のUFOが上空から汚染が広がらないようにしている…」という佐藤氏の話は、どういう形で裏付けられるのか追究してみたいと思います。

結果的にみると、福島第一原発1〜3号機の保留核種、つまり核燃料の総量は、チェルノブイリ原発4号炉の二倍ほどもあったものの、拡散した放射能放出量は、10分の1にとどまりました。
汚染エリアの面積も、この群馬大学の早川教授による地図が示す通り、およそ10分の1であることが分かります。

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この違いは、格納容器と圧力容器が爆発したかしないかの違いでした。
チェルノブイリの場合は構造が違いますがこれらが爆発し、上空から炉心が赤く燃えているのが見えたといいます。
しかしフクシマの場合は、建屋の水素爆発にとどまり、格納容器と圧力容器は何とか無事でした。

しかし、フクシマ2号機だけは爆発の危険があったようです。
格納容器のベント弁が構造的欠陥から動かなかったのです。
ここに一つの謎がありました。

3月15日午前0時02分のことです。
当時の管主相が東電にどなり込んでから、福島に乗り込んだ時です。
現地の免震重要棟の指令室では、もう日本がダメになるとまで考えたそうです。この現状はNHKが「メルトダウン連鎖の真相」で追究していました。

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このとき格納容器の中は700気圧に達しており、もしこれ以上ベント弁が開かなければ、格納容器や圧力容器までもが爆発し、チェルノブイリ級の災害を起こした可能性があったのです。

こうなると、原発から300q以上に汚染エリアが広がり、東京から静岡くらいまでも人が住めなくなった可能性があります。
なにしろ第2号機の汚染水だけが突出して放射線濃度が高く、この水に触れると数分で死にいたる73,000msb/hというレベルにありました。しかも他の炉より最も水の量が多かったのです。

しかし、午前6時10分、奇跡が起きました。
報告では、圧力抑制室が破損したようで、圧力容器が減圧されたと言われていますが、はたしてそれが減圧の原因なのかどうかは謎だとされています。
ともかくこれで大規模な放射性物質拡散の危機は回避されたのです。

この謎の奇跡はUFOが引き起こしたことだと言えるでしょうか。佐藤元空将が「上空から汚染が広がらないようにしている…」とこの状況を遠隔透視的に把握していた石巻の宮司さんから告げられたのは4月6日のことでした。

これは、佐藤氏の著書「自衛隊パイロットたちが接近遭遇したUFO」に出ているブルーインパルスの二度の事故を予言した石巻の宮司さんが、東日本大地震に「被災していませんでしたか」という私の質問に対して、以下に示したように、FAXで直接返信をもらった中に記載されていたことでした。(介入<その6>参照)

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このような経緯から、私は危機的状況を綿密に観察していたUFO群が気付かれないようなやり方で、爆発寸前の2号機の圧力を抜いたのではないかと考えています。

さらにもうひとつ、いまだに気になっているのは、2011年の東日本大震災が、これから来るもっと大規模な災害の「前兆」にすぎないという予言です。(<その6>補足を参照)
あまりピリピリしていても仕方がありませんが、できる準備はしておくに越したことはありません。

今日も、電離層観測網の予知警告通り、茨木で震度4の地震が発生しましたから、当分これで警戒を続けるつもりです。

チェルノブイリの上空からUFOが放ったビームとは

話はウクライナに飛びますが、UFOが原発事故をコントロールした事例として、チェルノブイリ4号炉の場合について、当シリーズ<その3>で触れたように、「爆発後最も激しい火災が起きていたとき、上空に真鍮のような色のUFOが滞空し、深紅の光のビームを炉の方に放射し、周りの放射線レベルを4分の1ほどにダウンさせた」ということがありました。

実は最近このような現象を引き起こす研究が、日本のスーパーカミオカンデの関連施設である大強度陽子加速器施設で進められていることを知りました。
ここでは放射性廃棄物に陽子ビームを当てることによって、その寿命が短くなるという実験だといいます。しかし、現在のところまだ1万分の1程度しか短縮できないようです

UFOがこのような技術を使っているということは十分に考えられます。それも私たちが成功している数千倍もの高率で実現していることがうかがわれるわけです。

そういう彼らが、「平和利用といえども核の使用は宇宙を破壊するだけだ…」というのですから、それを聞く姿勢を大事にしなければならないと思います。

posted by ニラサワ at 17:29| Comment(3) | TrackBack(0) | 予言・天変地異 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月21日

宇宙的変革期におけるUFOの介入<その7>

UFO事件は状況の深刻さを反映している

この夏、大阪のテレビ局から続けて出演依頼があり、さまざまなUFO遭遇事件の調査に取り組んでいるところです。その詳細は放送後に報告できると思いますが、このところ書き進めている当ブログ・シリーズ「宇宙的変革期におけるUFOの介入」と連動するところが出てきていることを感じています。

これは一方の関西テレビで取り上げるテーマでは、何か大きな変動が近づいているために、目撃事例が発生しているらしいということを取り上げました。しかし、この分析に至る過程で、過去の重要な事件が巧妙に歪められ、隠蔽されている現実に、改めて気付かされます。

例えば、昨年末の超常特番で取り上げた「東亜航空UFO遭遇事件」です。
この事件は1965年(昭和40年)3月18日に瀬戸内海上空で、すれ違う二機の旅客機がUFOを目撃していました。

番組放送後、神戸近郊のABCゴルフクラブというゴルフ場からこの光体を見ていた人から、弊社ホームページの掲示板に書き込みがありましたが、場所からみて、UFOは大阪湾から広島まで飛んでいたことがうかがわれます。

私が取材したのは、大阪から広島に向かうコンベア240旅客機の副操縦士をしていた馬嶋哲(まじまさとる)さんでした。

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事件当時、新聞や週刊誌で取材されていたのは、機長の稲葉義晴さんの方で、その体験は新田次郎の長編小説「夜光雲」のモデルにもなったほどでした。
一方、副操縦士の馬嶋さんは、目撃した機の操縦席にいながら、ほとんど脚光も浴びることなく、その体験の報告の場もなく、当時の報道資料や飛行記録などを保持したまま今日までこられたこともあり、昨年、テレビ局の取材を快く受けてもらえることになったわけです。

私が取材をすることになって、馬嶋さんがお持ちの資料類を読ませてもらった中で印象に残ったのは、生々しい「機長報告書(キャプテン・レポート)」と1959年4月5日付の「週刊文春」に記載されていた「日米の空飛ぶ円盤騒動」という記事でした。

東亜航空機UFO目撃事件直後のこの記事は、よく事件を総括しており、特に稲葉機長が受けた一つの屈辱的出来事が書かれていたからです。この記事からなぜパイロットたちは立場を失ったかがわかります。

これまでにUFO遭遇事件の当事者が、大々的にマスコミに注目された場合、ありうるはずのないものを「ある!」と主張し続けるこの難しさ、さらにそのほとんどの人は何らかの仕打ちを受け、それを恐れて黙ってしまうというのがいつものパターンであることは、残念ながら事実なのです。

巧妙なUFO遭遇当事者への心理的攻撃

以下に文春の記事を要約してみましょう。

機長自身、マスコミの取材に対して、自分の体験は明確な信念と自信を持って証言し、それが国内の各媒体に流れて数日たち、やがて外電に乗って海外にも広まろうとしていたころのことです。

―――― 機長の自宅の電話が鳴った。
「ハロー」と耳なれない日本語交じりの男の声だった。

自分はニューヨーク・タイムス東京支局員だと言って名前を名乗り、「あなたの体験は大きな反響を呼んでおり、アメリカでも同様な事故があった。ついては米国防総省、連邦航空局、パロマ天文台など専門家からなる調査団が来日し、事情聴取することになった…」と伝えてきたという。

そこで東亜航空の首脳部も色めきたって調査団受け入れの準備を始める。副社長が記者クラブで事の仔細を正式発表するなどで、記者たちも色めき立ったが、来日すると言った日にはだれも来ず、そんな人物はニューヨーク・タイムス社にはいないことが判明。一挙に事件報道は終息してしまったのである。――――

このトラブル以降、事件関係者やマスコミだけでなく、一般の研究家も全く事件に真剣に取り組む意欲が消失し、二度と脚光を浴びることはありませんでした。そしてやがて忘れ去られてしまったのです。
このような情報コントロールは、目を光らせている亡国機関の専門家によって巧妙に仕掛けられたものに違いありません。事件報道の拡大を終息させるという目的で、機長自宅の電話を調べ、会社を動かし、マスコミをかく乱するなどのシナリオを組み立てるのはプロの仕業としかいえないのです。

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馬嶋副操縦士も、この顛末に対し煮え切らない気持ちを抱えて長年過ごしてこられたことが、言葉の端々にうかがわれ、すでに亡くなっている稲葉機長の遭遇報告書を、退職時にもらいうけて保存しておられましたので、二人のパイロットの名誉のためにも、その全文をここに記載しておくことにします。

東亜航空コンベア204旅客機UFO遭遇事件の機長報告書

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TOA AIRWAYS
CAPTAIN REPORT

TO:運行部長殿

DATE:40.3.19
STATION:広島空港
CAPTAIN:稲葉義晴

SUBJECT:飛行中異常物体発見に関する報告(其の一〜二)

3月18日87便  機長 稲葉、副操 馬嶋、客室 原、乗客28名
19:05、コース上天候・快晴一片の雲なし、視程30哩以上、満月(15.7)

3月18日、18時55分、大阪空港離陸、VFR広島に向け航行。姫路市南西15哩(韮澤注:マイル)家島群島上空、高度6,500呎(:フィート)、機種方向270度、計器速度200kt(:ノット) 天候状況上記の如く全くの快晴にして一片の雲もなく、山陽及び四国沿岸の群小都市の夜景が望見し中天に月齢15.7の満月をいただき、年に幾回もない絶好の夜間飛行日和にパイロットのみに与えられた満足感に包まれて飛行中、19時06分 進路に対して10時00分の方向に飛行機の着陸灯の光芒を発見、馬嶋操縦士に注意を促し、見張りを厳重にさせて、同一方位、高度にて飛行するも、益々接近をするので、タキシー・ライト(:両翼にある前照灯)を点滅して当機所在位置を知らせると同時に、回避運動をすべきだと判断し、乗客シートベルトをオンにして右旋回330度方向に飛行するも、左翼至近距離に雁行編隊をする蛍光灯のやうな光を発し、大きさは光芒に包まれて不明なるも、約10〜15米(:メートル)と判断される異常物体が見受けられました。
危険を感じ当該機長として原因不明の事故となっては困るので最悪状態に備えてVHF(:超短波)にて現在状況を送信する様に指示。最初は東亜大阪にコンタクトしたが受信不能。次に118.1MC(:メガサイクル)大阪タワーに送信、これも受信不能のため126.2MCにて高松タワーとコンタクトして日本語にて異常物体が接近、雁行飛行中、高度、方位、速度異常なしと通報しました。
其の間19時06分〜19時09分、やがて異常な光芒も消え去り、20〜30秒間位経過したとき、126.2MCにて突然「こちらはJA3231高松上空、方位085゜飛行中、3時00分の方向より異常な物体に追尾されております」と当機に通報されてきましたので、我々の錯覚眩惑でなく想像をはるかに越えた常識的には考えられない飛行物体が宇宙に実在することをまざまざと発見しました。
吾々はその後も快晴中を順調に飛行を続けて19時56分、何事もなく無事に広島空港に着陸し、馬嶋操縦士と地所にて異常物体について検討をしましたが、奇怪千萬というより外に表現ができません。
大空には吾々の知識常識以外の何者かが存在するのを確信致しました。以上
                CAPTAINS SIGNATURE 機長サイン

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異常物体とは何だったのか

このキャプテン・レポートから分かるように、東亜コンベア機のパイロットたちは最初、左前方から異常光体が接近したので、衝突を避けようと、ほとんど右一回転、回避旋回するとき、物体は120度も方向転換し、左翼ぎりぎりに接触されるほどの距離にピタリと付いて並行飛行します。そしてやがて消え去ります。この間約3分間でした。

私はコックピットの機長席から副操縦士席に座る馬嶋さんに当時の様子をたずねました。

右前方から接近してきた時の様子を機長は「正三角形で、ちょうどネプチューンのタキシー・ライトみたいで、大きさは三角形の頂点と底辺の間が15メートルくらい。光りは三角形の中心部から下方に向かって照射していた」と週刊読売に答えています。

馬嶋さんはとにかくギラギラしたものだったと言っていました。
ネプチューンは対潜水艦哨戒機で、海面を強烈な光で照らして捜索しますから、それほどの光だったわけです。物体が三角形というのではなく、光芒がそのように見えたということでしょう。ここで機長は危険を感じ右に舵を切ります。

馬嶋さんは回避旋回するとき一時的に物体を見失いますが、右旋回ですから機長席からはその間も左後方に過ぎ去る物体は見えていたと思われました。

このとき機長は「方向探知機に目をやると針が乱れて動き、機体がピッチングを始めた」と週刊読売に答えていますが、馬嶋さんは「方向探知機はOFFだったはずだし、私は機体の揺れは感じなかった」といいます。

操縦桿を握っていたのは機長で、馬嶋さんは状況を管制基地に無線連絡していたので、細かい揺れに気付かなかったのだと私は感じました。

ともかく、その時無線は連絡不能となり、方向探知機はでたらめに反応し、機体は揺れていたということになります。これはUFO接近時に起きるEM(電磁)効果であることは明らかです。

馬嶋さんは最後につぶやきました。「機長はそのとき“これがUFOというやつだな!”といっていましたね。私はその言葉が何なのかまったく分かりませんでした」

この事件の10年ほど前の1954年に、アメリカの参謀本部は陸海空全軍に対し、JANAP146という「UFO目撃報告指令」を発布しており、航空界に初めてUFOという呼び名が流れ、機長だけがそれを知っていたということでしょう。

事実、この東亜機UFO遭遇事件を報じた当時の新聞や雑誌の記事にはUFOという文字は一切出ていません。すべて「空飛ぶ円盤」となっています。

米軍のUFO報告指令が出た年というのは、私が小学校三年で初めてUFOを学校のグランドで目撃した年であり、史上最大のUFOウエーブが欧州で起きた年です。そして東亜航空機事件が起きる半年前に静岡県で、私にとって生涯で最大のUFO遭遇を体験したのは、偶然ではないでしょう。

地上からの目撃は神戸から広島にまで至る

稲葉機長と馬嶋操縦士が出会ったUFOは、当時の新聞や雑誌の報道、そして最初に書いたように、弊社ホームページに書き込まれた目撃報告などから、神戸から広島に至る瀬戸内海を、ときには航空機を追尾するなどしてジグザグに飛びながら、東から西へと縦断飛行を行っていたことが分かります。

まず神戸のABCゴルフ場から瀬戸内海方向にまばゆいばかりの光を発しながら西に移動するのが目撃され、姫路から家島群島の間で東亜機に接近し、そのあと松島上空で東京航空のセスナ機パイパーアパッチA3231を追尾します。その二機間の距離は約50キロメートル程になり、キャプテン・レポートの無線通信傍受にあるように、時間差は最大30秒ですから、UFOの速度は時速7,200キロメートル以上で、マッハ6はあり、現在の航空機の最高速度を超えています。

そして岡山県西寺市からは四国山脈方向上空に光体が目撃され、広島の中国電力府中営業所の社員3名が光体を見たと報じられています。
     
以上のUFO遭遇事件はいまから47年も前のことですが、地球を取り巻く宇宙からの介入の歴史からみると、その目的に沿った一つの流れの中にあることは間違いありません。詳しくは「宇宙人はなぜ地球に来たのか」を参照してください。

今年の六月末に大阪湾に巨大なUFOが出現していたという報告が複数あり、それに関連し、今月二回にわたり関西テレビでその意味するところを発言しましたので、次回は地球大変動の予兆に関連した踏み込んだ内容に進めたいと思います。
posted by ニラサワ at 16:30| Comment(1) | TrackBack(0) | UFO・宇宙人遭遇事件 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月03日

列島大震災予知を検証する

近似した警告は迫りくる危機の表れか

ひとまずUFO介入シリーズから外した形で、最近明らかになってきている列島大震災的な予知データをまとめておきたいと思います。

これまでも 2011・3・11の東日本大震災の予知予言に関しては触れてきましたが、それに伴う福島第一原発事故発生に対するUFO介入の実態を探る過程で、あのマグニチュード9という地震が単なる前兆に過ぎないという予言が付随していることが明らかになりました。

これを確かめようとして、前回の佐藤氏にただしたところ、ブログ記載以上の詳細は、当人の意向で公表できないとのことでしたが、この前後に、不思議なことに類似の予知を受け取っている人たちのデータが集まってくるようになりました。

「類似」という意味は、「東日本大震災は事の発端に過ぎない…」ということです。
この形で予知を受け取っている人が意外に多いのには驚きました。
今のところ、上がってきているのは、年少の人が二人、自然療法などの仕事をしている人が三人、そのほか宇宙科学関係から数人のデータがあります。

年少者の場合は直感的に純粋な形で受けている可能性が高いと思われました。
また療法士の方々は人体の目に見えないエネルギーを扱っていることから、その延長線上にある自然界の動きに敏感であることが考えられます。
科学関係者はいずれも最先端のデータを扱うことから、現象の奥にある未顕現な力の動きを捕えていることになります。
そのほか、会社の掲示板に書き込まれた数年前の予知者の発言の中にも散見されます。

あえて付け加えるならば、既刊書である「予言された大震災」の場合は、前兆であった3.11と、これからの本震が一緒に表現された可能性があるのかもしれません。
またジュセリーノの場合は「続・未来からの警告」の巻末年表の2012年に「大阪でM8.9の地震がある…」というのが気になるところです。

今回の場合、その中のひとつは、この期に突然書籍原稿として持ち込まれたものがありまして、現在、そこに記されている巨大地震が起きていくまでに出版を間に合わせるべく、予定を立てているところです。

期日は夏の終わりころ!

もうあまり時間がないわけですが、この期日は出版予定の本に限らず、まったく関係のないほかの方々の予知にも一致するものであることに、改めて脅威を感じざるを得ないのです。

そして、問題になるのは、それほどの変動が起きた場合、その後の日本はどうなるのか、という惑星規模の状況です。
ですから、まずはじめにそれらの予知者は日本人として、国内で起きるその現象の始まりをとらえており、次にそれがどの程度の規模に広がっていくのかという、二つのテーマが出てきているのです。

そこで気になったのは、昨年の6月にNASAの長官が「緊急災害用品一式をご自宅に備えてください」という呼びかけで警告したことが何を意味しているのかといったことにもつながるような気がします。

とにかくここで申し上げたいのは、最初の発端となる地震の起きる期日がいつなのかということになります。
石巻の宮司さんのように起きる年を言った人、また年と月の両方を言った人、そして日にちまでを言った人といるわけですが、日にちまでを言った人のデータを記しておきます。

それらは、「2012年8月23日〜9月15日」のどこかに入っています。
ただ、あくまでもこの期間に起きるのかというと、「以前のようにはっきりとは分からないが、念のため…」と言っている人もあり、知覚程度に状況の差があるようですから、可能性であることを踏まえなければならないでしょう。

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その場所はどこかということになれば、だいたいはテレビのドキュメンタリー特集などで地震学者の研究結果として指摘されている、上に紹介した平安時代に数年おきに起きたように、関東から、東海、東南海、南海の三連動の場所となります。
具体的な地名で説明されている場合もありますが、「のよう〜」と推測と思われる言い方ですので省略します。

また、関東大震災では、11万人の死者の九割が火災という二次災害で犠牲になっていますが、今度は原発の爆発や火山という二次災害が大きな影響となるとする予知もあります。これらの状況についてはさらに検証したいと思います。

posted by ニラサワ at 21:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 予言・天変地異 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月13日

<その6>補足 宇宙的警告への対応

今年後半の巨大地震!

前回のブログを掲載してすぐに、2012年危機説が出てきてしまいました。
私もはっきりと認識していなかったのですが、読者の方が掲示板の方で指摘され、後で文章の後半の方に確かに書かれているのを確認したら、とんでもない内容であることに気付きました。

なにしろ、3.11大震災が<前兆>地震に過ぎないというのだから、大変です。
これから、あれよりも大きい規模の<本震>が来るわけです。
しかも、そのころは各国の政権が代わる時期で、国際協力による援護が手薄なになるのだといいます。
2012年内ですから、アメリカの大統領選挙が始まる年末になるのでしょう。

そこまで言われると、もう一個人の手に負えるものではありません。
佐藤氏もこの5月に石巻を訪れ、その予言の内容を確認したらしく、「油断できないようだから、腹をくくって生きることが大切で、バタバタしても始まらない。明るくいこう!」と、自分のブログに書かれています。

だいたいこの規模の巨大地震になると、どこに逃げても同じでしょう。
能力者も、いちいちあなたはどうすればいいかと説明することはできないと思います。

「今日中に街から離れよ。後ろを振り返ってはならない」とソドムに現れた救済者が言い渡したような、具体的な指示はできるはずもなく、生き延びるためのノアの箱舟を作る時間も手立てもありません。

かといって、海外に資金を使って逃れたとしても、予知予言はある確率があって、最初的中しても、次は違ってしまうということが往々にしてあり、財産を使い果たして、生活のめどさえ立たなくなり、かえってひどい目にあうなどということもあります。

私も以前、東京湾直下地震の予言を信じ山梨県に逃げたことがありましたが、安宿に泊まって風邪をひいて帰ってきたことがありました。

しかし、今回の予言はけっこう精度が高いと思われますので、注意が必要でしょう。
せめて自分でできることの準備と対策をして、それこそ、もう腹をくくって、気を落ち着けるようにしなければなりません。あとは神頼みといわれても仕方がありません。
年末になると、けっこう寒い時期になってきますので、防寒と食糧、水の確保でしょうね。それから状況に応じての避難路なども考えなければなりません。

ここで、重要になってくるのが時空を超える感覚の精度を高める作業になります。
精神的情報の受取は本人の純粋性が問われます。
何がどう作用するかは紙一重のところがあり、その瞬間に、どう自分が行動するかを決定します。

もし今回の情報を人に知らせようとするとき、相手がまずそれら時空を超えた精神的情報に理解がなければ、たやすく伝わらないでしょう。
また、欲得が絡むと判断は濁っていくでしょう。
能力者も同じで、それによってお金が入ってきたりすると、ノイズが侵入します。

一つの事象に対処するのに、地球という文明に曲がりなりにも保護されている現実に直面することになるわけで、その礎となった残留想念としての死霊にせよ生霊にせよ作用しますので、一つの文明を構築しているそれらの想念から、より進化した宇宙の文明の思考体系に脱皮し、戦争、犯罪、病気を克服していくのは、これからになります。

これら文明間の格差の問題は、大陸間にせよ惑星間にせよ「宇宙人はなぜ地球に来たのか」で説明したように、大国の当局でも手に負えないわけで、草の根的に真意が伝わる以外ないのかもしれません。
posted by ニラサワ at 17:40| Comment(0) | TrackBack(0) | UFO・宇宙人遭遇事件 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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